就活からの思い出話

大学生なら知っておくべき人脈構築の2つのステップ | 外資就活ドットコム - トップ就活生に向けた就活情報提供サイト

まず、サイトタイトルの「トップ就活生」って、よく考えるとすごい言葉だな…と思うわけだが。

おそらく外資系とか世間一般で言う「一流企業」にターゲットを絞れる人のことを言うのだろうけども。

で、ここに書かれている人脈作りは、就活というより起業する人向けという気がする。起業するのなら人の繋がりは重要だろうし自分の事業を色んな人に売り込むべきだろうから。幅の広い人脈を持っておくのは悪くは無いけど、ただ「就活」で人脈ってどれくらい必要なんだろう?

私の場合は普通に筆記、面接というルートでしか就活したことないし、OB訪問とかリクルータに合うとかやらなかったので、人脈どうこうと聞いても面接時のネタとして使うくらいしか使い道が思いつかないのだけどきっと今は色々と違うのだろうな。

…私の就職活動はとにかく狭き門だった。1999年卒業組だったわけだけど、専門学校卒という学歴上のハンディが思ったより大きく、資料請求を数十社しても何も送られてこなかったし、合同説明会でブースに行っても「四大卒しか採ってない」「補欠で良ければ」とばかり言われて、かなり困った。

就職先はIT業界と決めていたものの、福岡地場のソフト会社ではなくて東京に出たかったのもあって東京に本社のある会社を探していたのだけどそれでもやはり選択肢が無かった。で、専門学校生でも応募できて企業規模がそれなりのところが日立と、今の会社くらいだった。あと別のPG派遣系のよく分からない小さい会社の企業説明会に行ったくらい。

当時は就活にネットを活用するというのもそれほど無くて「ブラック企業」なんて情報もあまり無かったと思う。知らなかっただけかもしれないけど。で、最終的には今の会社に応募して内定を貰ったので他は応募しなかった。なので就活も実質1社のみで他の会社の事情はよく分からない。

実を言うと当時はSIerとか派遣系とかn次請けとか、ソフト会社の業界の仕組みをよく知らなかった。客先常駐があるなんてのも内定決まった後に知ったくらいだし。IT業界に行きたいと思っていたわりには業界を調べてなかったということで、あとからブラック企業と呼ばれている会社に入ったんだ…ということを知ったわけで。

おまけに配属が関東とはならずに最初から福岡配属で、最初は随分と落ち込んだ。東京行って先端で頑張りたいってのが当時思ってたことだったから。

今思うとあのとき関東の良くない部署に行って潰れたりするよりかは、比較的アットホームだった福岡で色んな種類の仕事をやらせてもらえたのは悪くは無かったのかなと。当時の福岡の部署は小さかったので人間関係も良かったし、配属されたグループの関係で何でも屋的に仕事をやってた。

業務システムの開発からサーバー構築、客先への設置、エンドユーザー訪問やら、ある業種の各地方の支店を作業服を着てPCの設置とLAN配線を30箇所くらいやって回ったり、某業種の電算センターを巡ってサーバー構築をしたり、最初の3年くらいで開発もそれ以外の肉体系の仕事もたくさんやった。1年目から一人で出張もたくさんしたし、大変だったけどけっこう楽しかった。

その後もサーバーもWindows、Linux、SunOS、Oracle、Webサーバなどたくさん立てたし、高価なロードバランサーを触ったり、Lotus Notesやったり、トラブルプロジェクト支援で客先のデータセンターにほぼ閉じ込められたり、突然デバイスドライバ作らされたり…。

どこかのメーカーにずっと常駐している人に比べれば随分と豊富な経験をしたと思う。その代わり何か一つの技術や分野を極めたということは無かったけど。強いて言えばOracleはDBストレージ設計から構築、チューニングまで頑張ってたのでそれくらいかな…。でも業務系を離れてはや6年くらい経つのでそのスキルも過去の物。

ブラック企業と言われる会社の中ではポジション的に恵まれてたほうかもしれない。ただトラブルプロジェクトやデスマもかなりの数やったし、会社辞めたいと数え切れないほど思ったし、今でも他の会社に行ってたらとか思うこともあるけど、たった一社しか就活しなくても何とかなるんだなというのは思った。最善の進路では無かったとしても11年間病むことも無く、社内でも干されずに仕事できているので最悪では無かったんだろうなぁと。「もしあのとき…」はたくさんあるけど、もう過去の事だし。

ただ今後については年齢面も含めて色々と不安はあるけどね…。

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