2012年の仕事面での振り返り

いちおう今年も振り返りをしてみる、のだが今年一年はなにやってたんだろうかというくらい、自分にとってエポックなことが無かったような気がする。ここでは主に仕事面での振り返り。

1月と2月は横浜の自社の本社で仕事。

これは前年からのプロジェクトの大詰めで開発ロケーションを一つにしようと集まった。このプロジェクトもこの時点で割とトラブルな感じになっていたというのもあり、朝から深夜まで勤務時間も長かったし体力的にも辛かった。

ただ、横浜・みなとみらいというロケーションと会社から3分のホテル暮らしは息抜きや気分転換するにいい場所や時間を取ることができたので、今思うとストレス的なものは割と少なく楽しんでいたところもあったかもしれない。

bromptonを買ったのも福岡に戻る直前の2月後半。横浜に来てすぐに買っていればもう少し行動範囲が広がっていただろう。


3月は福岡に戻って2月の作業の続きを細々と。

2月でだいたいのメンバーは代休などを取ってリフレッシュしていたりしてたけど、自分は次の世代向けの作業を引き続き担当していたのであまり休んだりできず、少し悶々とした毎日を送っていたかも。

福岡の自社オフィスで作業したのは今年はこの1ヶ月だけ。


4月から6月は客先常駐。

通勤が遠いのと朝早くから夜遅くまでの勤務が続いてけっこう辛かった。社内の別グループの人や周りのメンバー、客先の人との関係がしっくり来ずにその辺でのストレスはあったかもしれない。

プロジェクトの立ち上げすぐから詳細設計の初めあたりまでしか在籍しなかったのであまり成果らしい成果は出せてない。Androidの案件だったので今まで蓄積した知見を期待されていたようだけど、システムのアーキテクチャやモジュール構成などはAndroidに詳しく無い人たちが、前システムのOSアーキテクチャベースでほとんど決めてしまっていてあまり口を出すところが無かったという…。

あまりAndroidぽくないシステムアーキテクチャになっていたので、その後の設計、製造でトラブっていないか心配ではあるけど、何も聞こえてこないのがなんとも。

客先でJenkinsを始めとしてCIや自動テストなどの環境構築を提案していて、相手側もけっこう乗り気でいてくれたのだけど、開発から外れて環境屋をずっとやっていくのもな…と悩んでプロジェクトから離脱することにした。今となってはどっちの選択が良かったのかは分からない。

あと、ここ数年間いろいろなAndroid関連の仕事をやってきたけど、ここで終わり。せっかくのAndroidのスキルが生かせないのはもったいないのだが、仕事なので仕方ない。いずれAndroid関係の案件に関われるといいのだけど。

この頃に書いたエントリでよく読まれたのは以下。「開発現場あるある」系ではあるけれど、おかしいものはおかしいと言わないとね。
長時間拘束の仕事はエンジニアの首を絞める - きままな日記帳
組み込みの現場でRTOSベースの既存システムをAndroidに移植しようとした時にありがちなこと - きままな日記帳

生活面では、実家とは別に部屋を借りていろいろ物を揃えていっていたところなのだが、このあと長期出張になるので借りている部屋もずっと主のいない状態。


7月からは刈谷で今の案件。6月までの案件は自分だけが抜けた形。

最初に聞いた話は10月いっぱい。ただ、年内くらいまでは帰れないかもしれないことは覚悟していたけれど、いざその年末の時期に来ても帰れる時期が分からない状態なのがなんとも。

7月くらいまではまだトラブル中とは言えプロジェクト全体で見れば開発中盤だったのもあり、割と時間的に余裕があって休日は京都の祇園祭名古屋市内蒲郡とか周辺をぶらぶらする余裕くらいはあった。

8月に入るとマイルストーンに向けての作業が逼迫していて、夏休みも返上で仕事。それ以降は今までずっと余裕の無い状態でプロジェクトが進行していて、典型的なデスマに陥っている。

なんというか、無茶ぶりが多いというか明らかに期限と人的リソースに見合わない作業が突然降ってきて、「午前中に報告」「明日の朝までに完了」という指示が来る。どれだけスケジュール引いてもこういう作業が多く割り込んでくると線表はすぐに破綻するよね…。そして破綻したスケジュールに対して「なぜ遅れているのか?」とクレームが来たりとか。

人や時間のリソースは有限、という前提が無いかのような状況に近い。

あとは全体的なアーキテクチャを決めた人からの情報の共有が十分に行われていなくて、ほかの設計者や実装者に意図が十分伝わっていないまま開発が進んでいることもあるだろう。資料もほとんどなく、大元の人の頭の中にあったり、過去機種開発からの経緯やノウハウが今機種から参入してきたメンバーに伝わらなかったり。

それでいて「なぜ過去の経緯を知らないのか?」と詰め寄られても…というシチュエーションが多々。

他にもこのプロジェクトの問題点は上げればキリが無いが、日程上はプロジェクト終盤なのでとにかくバグを叩きだして直していく毎日を続けていくしかないのだろう。

バタバタしてる中で書いたエントリが読まれたりしたのは10月ごろ。日本的、と言っていいのか分からないけど独特の組み込み開発現場のグダグダぶりは、やっていると暗澹たる気分になってくる。

組み込みもけっこう末路なのかもしれない - きままな日記帳


2012年は仕事の面では自身にとってほとんど得るものも無く、単に労働力を提供していたようになってしまったのは残念。

SIerとして組織として労働集約型の案件をやらざるを得ないというのはあるけれど、おそらく人は育たないし自転車操業のように労働力を使い潰すだけだといずれ組織としても瓦解していくだろうなというのが実感。

自分もエンジニアとしては若くない年齢になっているので単なる体力勝負、残業自慢に使えそうな仕事の仕方からは卒業したいとは思っているのだが、今年は本当に自分に取ってプラスにできたものが無かった年になってしまったのが残念。いろんな物に対する好奇心や熱意がパッタリ出てこなくなっているのは自分でも感じるし、来年以降もこれが続くとどんどん堕ちていくだろうという焦りはあるけれども。

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