そしてまたデスマが始まる

デスマが無くならない。その原因を挙げていけばキリがないけれど、そもそも最初の段階として、無茶な条件にもかかわらず受注しようとする管理職(と社風)の存在が大きいと思う。

目の前の売上が欲しいばかりに、「ちょっときついけど何とかなる」「危なくなったら支援する」「今度のはそんなに難しくはないから」「うちがやる範囲は限られているから」などと色々なことを言い、現場技術者から上がってくるリスクの忠告も都合良く聞き流され、受注に向けてひた走る。

それは売上が上がれば、そのプロジェクトはあとから火を噴いて赤字を出しても、火を噴いたときに考えれば良いと思っているんじゃないかと勘ぐってしまうほどだ。

こうなったときに一番大きな犠牲を払うのは現場だ。さんざん訴えてきたリスクも流され、「突入」の命令が下される。それでもなんとか火を噴かないように手を尽くしてみるが、しかし条件の悪さやメンバの力不足もあって火を噴いたとき、管理職の対応はだいたい決まっている。「人を入れればなんとかなるの?」

数は力、ここは国会では無い。この図式が効果的な場面は非常に限られている。そして犠牲者を増やしつつ泥沼へ…。

リスクについてきちんと検討しない管理職を持つと不幸だと思う。ある程度の思い切った決断力は必要だろうが、管理職自身の口から「突撃」とか「突入」という言葉(巧妙な言い換えで「挑戦」)が出てくること自体がおかしい。すでに危険なことは薄々気づいていて、その危険さを説明せずにメンバをアサインするのは反則に近いと思う。

ある程度危険を冒して受注するのであればそれなりの体制やメンバ、開発方法などの戦闘準備はしないといけないわけだけど、単に「大丈夫だ」を繰り返されたところで、プロジェクトが始まる前から焦げ臭さが漂い、メンバのモチベーションは下がってしまう。「今度の仕事もデスマかなぁ」と。

辛くても、条件が厳しくても、一筋の光でも見えていれば「頑張ればなんとかなるかも」という気も起きるだろうし、たとえ光が見えなくても、なんとなく「光が見える可能性」を感じ取れればいいのだが…。残念ながら、その可能性すらイメージできない作業というのもある。

そんなに技術者を消費してまで、企業を維持存続する意味があるのだろうか。企業の目的は利潤追求、拡大再生産であるのが一般論だけれど、それを実行するときに人員を「消費」するのは正しい姿か?技術者を消費し続けるということは、ある程度力の付いた技術者が脱落し経験の浅い人を補充するということで、その企業、業界としての進歩は著しく停滞するはず。

…デスマを何度やっても、学習できないのは何故なんだろう。

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